25。

25という年齢は、あれこれ考える時期なんだろうか。
うーむ。
きっと、そうなんだろうな。
実際、今の自分がそうだから。
今までもあれこれ考えて生きてきたつもりだったけど、これからきっともっと多くなるんだろう。


最近よく、今まで「考えていた」と思っていたことが、実は「悩んでいた」の間違いではなかったのだろうか、とか思ったりする。「考える」と「悩む」って似てるようで実は違うことなんだよね。今さら感たっぷりだけど、わたしは今までちゃんとわかっていなかったのかもしれない。
悩むことは、堂々巡りなだけで結局答えが出せない。どうしようどうしようって不安になって悪い方にばかり頭がいってしまって、そこでたぶん終わってしまう。か、もしくは、あーもうイヤ!ってなって、答えを無理やりにでも出してしまうか。行動を起こしてしまうか。行動に起こせればいい方で、結局何もせずにそこに立ち止まったまま、のことの方が多い。でも考えることは、1歩でも半歩でも前に進める。考えて考えて考えて、とことん考え抜いた先に自分なりの答えを見つけられる。まぁ、これも悩むことと同じように、途中でやめてしまう可能性もあり得るわけなんだけど。でも、「考える」ことの方が未来は明るい方向に向かっていくように思う。考えることの先には、必ず行き着く場所(答え)が絶対にあるはずだから。
「考えること」と「悩むこと」の似ているところは、その「原因」で頭の中がいっぱいになってしまうということ。そこできっと、「悩む」を「考える」と錯覚してしまうんだろうなー。